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No.38 圧倒的な時間の中では変化は感じない
2008.8.7
過去の過ちの蓄積が今噴き出していると考えるのはコジツケが過ぎるのでしょうか。特に関東地区において、熱帯のスコールに似た雨が降り、雷が襲い、脆弱な都市は簡単に都市機能を奪われ、流水施設は想定した許容量をいとも簡単に超えてしまう。
私が子供の頃はこんなに暑くはなかった。こんなに暑くは感じなかった。近頃の天候を素人はどう考えたらいいのか。恐らく専門家は地球の行き末を予見出来ているのではと疑ってしまいます。
ある日突然天候が異変を起こすとは考えられません。気の遠くなるような人が実感できない長い時間を経て、今の状況となっているのでしょう。人は自然に対しては受身で、この変化に対応するにはあまりにも未熟です。
最初に書きました「過去の過ちの蓄積が今噴き出している」とは余りにも長い時間を要する為変化の度合いを感じることが少なく、変化を見逃しているに過ぎないと思います。
今を基準に考えれば変化の度合いは人の短い一生では感じられないかも知れませんが、今を過ちなく生きることが重要であると判ります。倫理、道徳等形而上的な事を言っているのではありません。毎日の生活、仕事で自分が納得出来る事を積み重ねて欲しいだけです。市井の私は大きなことは到底出来ません。仕事の関わりの中で商品、サービスの提供を過ちなく追求することしかありません。
現在は「食」について考えることが多いようです。添加物、農薬、肥料等人工物に慣らされた人の味覚を本来持っている味覚へ復権するようなもの作りをしていきたいと考えています。
生産効率の極限を求めて製造工程を加速させたり、時には減速調整することなく自然な時間の流れに抗する事のない「もの作り」をしたいと思っています。