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No.31 読後感

2007.8.15

 この盆休みの期間は、世の中が静かになって好きです。 

 毎日事務所には出ていますが来客、電話等が無く、本を読んだり、中長期の事業計画を考えるには絶好の機会です。

 毎年盆休みの1週間は、分野は問わず7~8冊の単行本、文庫本を読みます。斜め読みに近く、再読はしません。半分は時間潰しに近いかもしれません。ただ、読んでいると作家の思考の浅深が何となく分かるような気がします。要するに持っている力の全部以上を無理して出している作家と持っている力の全てが出し切れず、取捨選択しながらも書ききれないでもがいている感じの作家です。後者の作家は次から次へと良い作品を生み出していると思います。まあ私自身の好き嫌いの世界です。

 たまたま昨日榊原英資著の「幼児化する日本社会」を読みました。その読後感です。読んだ本を時系列に整理したり、読書感想文を書いたりはしていませんが、気になる言葉、記憶に残った言葉を手帳に付けています。この作業が今まで役に立ったことは当然一度もありません。

 何とはなく今の日本社会に閉塞感を感じている人は多いのではないでしょうか。この本は、その原因がどこに起因するのかの問いかけです。

 読後私が記憶している言葉は〔クリティカル・ピリオド〕〔解答は必ずしもない〕〔常識を疑え〕〔部分を以て全体を判断するな〕の4文です。後は忘れました。

 〔クリティカル・ピリオド〕とは脳の臨界期のことで、2歳から8歳位で思考力、特に言語能力については確定するそうです。因みに本物のバイリンガルはこの時期多言語を話す環境にあれば脳の同じ部分で多言語を処理できるみたいです。大人になって外国語を話す事も努力によって可能でしょうがネイティブな言語処理能力は臨界期の体験無くして体得出来ないようです。人の脳のキャパシティーは凄いですね。いくら詰め込んでもオーバーフローしないとは。言語能力だけでなく臨界期の子供の育て方の大切さが将来の子供の人格形成の基本となるならその年代の教育、しつけは驚くべき意味を持ってくると思います。

 〔解答は必ずしもない〕とはよく言われていることです。しかしながら日常人は白黒二元論で答えを求めているのではないでしょうか。それを担っているのがテレビを中心にしたメディアです。メディアは割り切り、シンプルさを求め、視聴者に刷り込みを毎日行っています。今最大の権力者はメディアかも知れません。メディアの解答を解答と考えることにより人は思考を停止します。ある意味政治家のみならず企業家、市井の人までがメディアの白黒ズバッと割り切った考え方、物の見方に影響を受けているのではないでしょうか。終戦記念日前後、多くのメディアが東京裁判につき放送をしています。直木賞作家浅田次郎が嘗ていた自衛隊市ヶ谷駐屯地内で行われた東京裁判について、その建造物の解体が計画されているようですが(既にないのか知りません)保存のうえ東京裁判を歴史的に再考察する意味はイコール戦争を考えることでもあり意味があるとは思いますが、メディアに取り上げられないのはどうしてでしょうか。

 〔常識を疑うこと〕は、イノベーションの原動力です。常識を積み重ねた行為が非常識に成る事は意外と多いものです。頭から外から入る情報により常識と判断することは、その時点で思考停止に成る事が怖いのです。宗教をはじめ科学分野においても、今ある与件、の中では常識かも知れませんが、与件が変わる可能性の多さから考えれば原理主義は排除して、常識を変える柔軟性が必要かもしれません。

 〔部分をもって全体を判断しない〕とは、山本七平の言う断章主義の事だと思います。メディアが日常的に使っていることをよく理解しておくことが必要でしょう。