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No.11 生き急ぎ過ぎたかな

2006.5.8

 時代の寵児堀江貴文が保釈され、「生き急ぎ過ぎたかな」と述べたという報道がありました。本音だと思います。

 違法行為があったのでしょう。30代前半で一定の成果を出し、社会的にも認知される程の名を為したのですから。常識的に考えて普通の経営(何が普通か難しいですが)をして株式時価総額があれだけ短期間に膨張しまた急降下する筈はありません。

 今流行の株式時価を最大化することを目的とする経営は疑って掛かる必要があると思います。会社の実体、実力は一つです。それを評価するのに株式時価総額を尺度とするのか、そうでないかで会社の運営方法は変わってきます。

 自己資本の数倍程度が株価であり、会社評価の尺度とするならまだ分かります。平均でも20数倍のPERを示す株価を尺度とするには余りにも将来を楽観的に見ているか、株式=会社を投機対象とみているのではないでしょうか。

 株式市場における株価が将来の会社の成長イメージの下に形成されているから仕様がないですが、会社は浮き沈みの激しいものです。株高経営は成長スピードを上げるものであり、間違えば会社の存続さえ危うくする両面を持っています。

 虚像、イメージには大して意味はありません。それとの対極に位置し、時代を反映した考え方ではないかもしれませんが、私は今日、明日、1年後、せめて2年後のCFを前提にした企業運営を行って行きたいと考えています。スピード感に欠けるかもしれません。若い人たちには結果が出るのが遅く不満がでるのかもしれません。しかしそれが会社経営だと私は思っています。

 起業を目指す若い人たち、堀江さんの言った「生き急ぎ過ぎたかな」の述懐の意味を一度考えてみて下さい。目標なんて達成できるだけで御の字です。目標達成の時期が少し遅くなってもいいじゃないですか。「生き急ぎ過ぎ」の無理は必ずどこかで生じ、その時に人が事を成し得るとは結果では無く、途中経過の中にあると分かりますよ。