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No.21 草莽の志士から太政官政府役人へ

2006.9.4

 幕末、同じ薩摩藩から、西郷隆盛と大久保利通という二人の英傑が出ています。
 勤皇倒幕の幕末乱世においては、二人は仲良くやっていました。ところが革命成り、明治新政府設立後(太政官政府)は、征韓論で考えが二分し、西郷は鹿児島へ、大久保は実質的には、政府トップの位置をしめることになりました。

 当時、征韓論が日本の国論を二分するほどの大問題ではありましたが、なぜか内容についてよく覚えておりません。学校で習ったのだろうか。征韓論という言葉は知っていましたが、その背景、経緯、結末について、また当時の2大英雄が袂を分かった原因となった論議をよく知りません

 本によると、明治政府成立、戊辰戦争終了後、全国300諸藩が廃藩置県によりなくなり、士族は廃止され、碌も支給されることなく、反対に納税、徴兵制などの新たな負担の増加により、士族の生活は困窮を極めていたようです。明治新政府ができたものの、旧幕の時代の方が生活ぶりは良かったので、士族の政府に対する不平不満は相当鬱積していたようです。

 いつの時代もそうですが、国内問題の不満の捌け口に征韓論が出てきたのも事実でしょう。一方、当時の帝国ロシアのアジア南下植民地政策の防御のためにも、征韓論がでてきたようです。その論の首謀者として西郷隆盛が不平士族に祭り上げられました。非征韓論の大久保利通は、典型的な官吏です。国の形もできていないし、脆弱な国家財政のなか、征韓論に踏み切れば国家は破綻すると考えていました。

 この二人が瑣末な話しながら、ベンチャー企業を起こせばどんな感じでしょうか?
 西郷隆盛を情の人、大久保利通を理の人とみるとどうでしょうか?
 征韓論者を武士道を基本とした精神論者。非征韓論者を財政優先主義者とみるとどうでしょうか?

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