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No.29 才ありて骨太であること

2007.5.25

 司馬遼太郎作「功名が辻」と「戦雲の夢」。一つの歴史的出来事を勝者側と敗者側の目線から見られておもしろい。

 主人公は関が原の戦いで東側に付いた山内一豊と西側に付いた長曾我部盛親。

 旧豊臣家の恩顧に答える長曾我部家。一族郎党を保守する山内家。両家とも東西に分かれたことに対する非はない。

 太守の一瞬の決断で勝敗が決している。ある意味「運」が将来の両家の生き様を決定つけている。皮肉なことに関が原の戦いでの東方勝利の山内氏が褒賞として土佐一国を与えられ、長曾我部氏が西側に属していたため、土佐を召し上げられ盛親は牢人として名を変え、京都所司代の目付けのもと京都の寒村で暮らすことになる。盛親は、父長曾我部元親の四男として生まれたが長男が戦死するなど、期せずして長曾我部家の家督を継ぐことになるなど、苦労知らずで奔放な生き方をした人物として描かれている。

 数年の蟄居後、武士としての主体的な生き方(死に場所捜し)を求め大坂冬の陣に備え、大坂城に入城し、多大な武功を挙げることになる。しかしながら大坂夏の陣においては、局所戦においては徳川方から唯一総大将として勝利を収めるが、全体は当初予想とおりの結果となり、旧豊臣家は一掃され、徳川家の天下となる。

 「才ありて骨太であること」が戦国武将が名将として歴史に名を残すと著者が書いていますが、現代においても成功するには同じ資質が必要なのかもしれません。

 長曾我部盛親は、才はあるが骨太ではなかった。剣術に優れ、武能には桁外れの強さを持っていたが、情が厚いという意味では骨太ではなかった。盛親は天下の時勢を読みきり覚悟の上で、悲運の生涯を送った。私にはそれが愛おしく感じてならない。