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No.1 なにもblogを書くのは渋谷の社長だけじゃないよ

2006.2.27

 タイトルはベストセラー本のパクリですね。すいません。今日から極々個人的なアーカイブとして「田舎ではたらく社長のblog」を始めます。全くの不定期ですが長続きはさせたいと思っています。

 簡単な履歴から
 私は今人口18万人弱の山口県の地方都市で会社の社長をしています。地元の人が読むと「田舎」という言葉に反発を感じるかもしれません。私の「田舎」という表現は単に人口が少なく、JRの運行が昼間1時間に1~2本走っている程度の意味で又大都市に対する地方都市ということで他意は全くありません。

 1951年生まれの私は今や完全にロートルです。起業したのは30代ぎりぎりでした。それから16年。年もとるはずです。ただ会社には20前後から私と同世代の人までいるので話に事欠きません。普通なら若い人達に相手にもして貰えない年代なのに話せて、人間観察できることは非常に楽しいことです。お蔭様で若い精神性を維持できます。社長職の1つの冥利ですね。

 神戸で生まれ、大学まで自宅から通学しました。全て公立系の教育機関でしたので、親からみて最小限の教育コストで済みました。そういう意味では親孝行であったかもしれません。ただ残念なのはそれが唯一の親孝行であったかもしれないことです。

 卒業後何とはなく入った地元の会社も京大閥のグループに引き入れられ、他の社員との関係もギクシャクしたものになり当時尊敬していた先輩と一緒に入社半年で辞めてしまいました。何の計画もなく2人で当時の失業保険が切れるまで死ぬほど話しました。振り返ってみるとその頃が一番楽しかったような気がしています。

 京大工学部大学院卒の先輩と文系事務屋の私が考えたのは、今でいうオーガニック野菜の直販でした。市場調査と称して農家廻りをしたり、契約栽培を申し込んだりと30年以上前の本当に楽しい思い出です。

 案の定売れることなく、最初の事業らしきものは失敗しました。それから急転直下、180度回転させて公務員を目指しました。就職浪人です。

 1年後政府関係特殊法人(公団)に滑り込みました。本部は東京虎ノ門、憧れの東京です。数年経って分かったのですが、こういう団体は民間企業でもなく、純粋官庁でもない中途半端な組織だなあということです。要するに組織の存在理由が分からなかった。

 当然の帰結として30半ばで辞めました。青かったですね。無節操でしたね。無計画でした。ただ生来の楽観性からまあ何とかなるかと根拠の無い自信だけは持っていました。もう一度やり直せるなら恐らく別の決断をしたでしょうね。でも後悔はしていません。